3月11日

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こんにちは!齋藤です。

本日は3月11日です。もう7年、まだ7年、きっと感じ方は人によって違うと思いますが、

7年前の東日本大震災は僕にとってはいまだに記憶が時系列で鮮明に残っています。あの頃は宮城県東松島市に住んでいた高校生で、かなり非日常的な経験をしたからという事もあると思います。

(書こうと思えば書けるし、残しておきたい思いもあるから書いたけど、このブログで書くべき事なのか色々迷って、1000文字くらい書いたのは今全部消してMacのメモにだけ残しておこうと思いました。一生そこにいるかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど。で、全く別の視点で書いてみました。)

就職して2年、2016年に初めて東北を離れましたが、2016年、2017年は、福島にいたそれ以前まで(2012〜2015年頃)以上に、当時の事を思い出すと心を痛めるような事が、増えていました。

でも今年は少し違う気持ちです。理由は自分が変わったからだと自分で分かっています。でも忘れたわけでも自分は冷たくなったなと思っている訳ではありません。思考の中で進んでいる結果だと思っています。

そして、考え出したら思い出す事なんてたくさんあります。映像、生活環境、感情、日記に書いていたことなど。そして、不幸のあった中学の同級生4名の顔です。学年で60名ちょっとの田舎の小さな中学校です。

その内の2名の女の子と、先生と4人で放課後の教室での何気ない会話、なんでこの場面をいまだに覚えているんだろうというほどの何気ない場面を覚えているし、(たぶん二人は覚えてないかなー笑)一人の子が女の先生のファッションチェックをしてて「先生、それガーリーだね」とかなんとか言ってた所とか、

一人の男子は声が甲高くてみんなのマスコットキャラみたいなやつで、どんだけ話したかわからないし、勉強一生懸命なやつだったからテストで勝負してたとか、

もう一人の男子は野球部だったけどなぜか一番思い出すのはすごくどうでもいい事(今思い出すとさらにどうでもいいような事、、、)で言い合って僕も暴言を吐いてしまったことで、まあ本人も別に大して気にしていないと思うけど、いやでもあの後実は気にしてたかなとか、

別に綺麗に書きたい訳ないし、書きたくないけど辛いワードはあまり今ここの画面に載せたくなくて、でもみんなは覚えているかどうかわからないような、色々な小さな場面の記憶があって、今の僕が在るし、その記憶は、今の僕にとって、気力と力になります。

 

また一歩外に出れば、僕は地元を離れて、全く違う土地にいて、当時は想像もしていなかった仕事をしていて、全く別の、「今の」元の世界に戻ってきた感じがします。

だけど、いつもより少し力は湧いているし、こっちで僕も頑張んなきゃ、と思っています。

4件のコメント

  1. 齋藤さん、こんな事を想って文書に出来るなんて、素晴らしいです。
    メグさんの一言もガツンときます!
    私も恥じぬように!!

    1. けんつまさん
      コメントありがとうございます!
      喋っているように、想った事をそのまま文字にしたので、コメントもらえて嬉しいです😂

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